【山形・天童市】織田信長を祀る建勲神社|御朱印と金平糖参拝レポート
2025/08/22 ※このサイトには広告が含まれます カテゴリー: 参拝

こんにちは!
戦国時代や時代劇、お城が好きな私。
映画や歌を見聞きしたのがきっかけで人気の高い戦国武将「織田信長」に興味がわき、山形県内で信長とゆかりの地などがないものか?と調べてみました。
すると、山形県天童市に信長が御祭神として祀られている「建勲(たけいさお)神社」があるのを発見!さっそく参拝に行ってみました。
織田信長ファンはもちろん、歴女や女子旅で歴史散策を楽しみたい方にもおすすめの参拝スポットです。
この記事では、建勲(たけいさお)神社の参拝レポートとあわせて、御朱印とともに頂いた「コンペイトウ」の詳細についてご紹介します。
信長が御祭神! 建勲(たけいさお)神社はなぜ天童市にあるの?
織田信長が御祭神として祀られる「建勲(たけいさお)神社」は、実は京都にもあるんです。
さらに、岐阜や東京にも信長ゆかりの神社があり、全国的にも注目を集めています。
では、なぜ山形県天童市にも同じ名前の建勲神社が存在するのでしょうか?
その理由を探ると、天童市と織田家の深いかかわり、そして天童織田藩の歴史に行きつきます。
まずは、天童市と織田家のかかわりについて、その激動の歴史とともに振り返ってみましょう。
天童市と織田家のかかわり-天童織田藩の歴史を紹介
天童織田藩の歴史は、信長の次男、信雄(のぶかつ)から始まります。
信長が本能寺の変で亡くなったあと、嫡男信忠も、この時に京都妙覚寺で自害しました。
信忠の嫡男である秀信は関ヶ原の合戦の後に命を助けられ、高野山に入山しました。しかし秀信がキリシタンに入信していたことも影響したのかその後高野山を追放され、病死したとされています。
ここで嫡流の血筋は途絶え、次男の信雄系の「天童織田藩」に受け継がれることになります。
しかし、信長の死後、豊臣や徳川の時代になると、織田家が再び台頭することを恐れて、位は高いものの禄高は低く冷遇されます。
その後、信雄系の藩主が続くものの、どんどん都から離れたところに国替えさせられ、天保2年(1831年)に藩主の信美が天童の地に入り、これにより天童織田藩が成立しました。
信長が御祭神となって祀られたワケ
明治維新の際、天童の織田藩は新政府軍(官軍)に味方し、戊辰戦争での功績を認められて藩主・織田信敏(のぶとし)が子爵に叙せられました。
これを受けて、藩の始祖である織田信長に対し、明治天皇から「建勲(たけいさお)」の神号が贈られ、1870年(明治3年)、信長公を祀る「建勲神社」が創建されました。
ちなみに、信長公を御祭神とする神社は、京都にある建勲神社と、天童にある建勲神社の2社だけ。
どちらも同じく「たけいさお」と読みますが、京都の神社は一般的に「けんくんじんじゃ」として親しまれているそうです。
登り旗が風にたなびく静かな境内ー建勲神社参拝レポート
天童の住宅街にひっそりと佇む「建勲神社」。
境内は時間がゆっくりと流れているような落ち着いた空気が漂っていました。
ここでは、建勲神社の境内の様子を写真とともにご紹介します。
いざ境内へ!信長公に思いをはせる…

建勲神社の鳥居は、山形県青年の家のすぐ近くにありました。

天童市の舞鶴山の中腹にあるので、下から鳥居をくぐって参拝に向かうと少し階段を登ります。

「天童織田藩の始祖信長公を祀る」
車で舞鶴山の中腹まで行くと、神社の直ぐ近くに駐車スペースがあります。
そこから、なだらかな坂を歩かなければいけませんが、階段を使わずに行けるので、階段が苦手な方は駐車場から行くのがオススメです。
境内に入ると、想像とは違ってこじんまりとしています。

でも、なんだか居心地の良い、爽やかな風が吹く境内です。
山の中腹にあるので、下から風が吹いてくるのでしょう。

お賽銭箱には「天下布武の意味」が書いてありました。

↑天童織田藩の家系図もあります。

↑それから、建勲神社の由緒。
建勲神社は信長を祀ることから、勝負運や出世運にご利益があるとされています。
信長が誰もやらなかった天下統一を目指した凄さを感じながら、そして、建勲神社が山形県にあることのご縁に感謝して、お参りさせていただきました。
境内の端にある授与所で御朱印をお願いし、椅子に座って待っていたら、神社に掲げたのぼり旗がバタバタと風に吹かれていました。
バタバタバタバタ…
戦国時代の合戦で、家紋を付けた軍旗ののぼりも、こんな風にバタバタとはためいてたんだろうな…
刀を振り回し「信長様のために、いざあああ~!」と…
一瞬タイムスリップしてしまいました。

イケメンの信長と「コンペイトウ」付きの御朱印!
御朱印が出来上がると、神主さんから建勲神社のパンフレットをいただきました。
(令和元年6月9日参拝)

パンフレットの表紙は、すご~くイケメンの信長。
宣教師が書いた似顔絵だそうで、この複写を拝殿の中に飾ってあるそうです。

よーく見ると、拝殿の左奥の上の方に額に入れられたこの似顔絵がありますね。
神主さんのお話しだと、この似顔絵は、天童織田家の菩提寺である「三宝寺(山形県天童市)」に保管されているそうです。
そして、この三宝寺では、毎年本能寺の変(6月2日)のあたりに、天童織田家の末裔や関係者とともに御法要をされるそうです!
私が、ある年の6月2日に、突然織田信長さんが気になりだしたのも、本能寺の変の日だったからなのでしょう。不思議なことです。
そして!

授与品としてなんと!
信長公が好きだったと言われる大粒の「コンペイトウ」もいただきました。
あちこちの神社で御朱印をいただきますが、御神饌付きは初めてだったので感動しました!
建勲神社へのアクセス方法
建勲神社は、JR天童駅から徒歩で約15分、途中坂道や階段があり少しアップダウンもあるので、歩きやすい靴で行くのがおすすめですよ。
車であれば山形北ICから20分程度のところにあります。
境内近くには無料の駐車場もあるので、車での参拝も安心です。
スポット名 | 建勲(たけいさお)神社 |
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電話番号 | 023-653-0289 |
営業時間・ 御朱印受付時間 |
9時00分~17時00分 |
定休日 | なし |
住所 | 〒994-0000 山形県天童市大字天童字城山1043-5 |
アクセス | 山形北ICから車で約20分、JR天童駅から徒歩約15分 |
駐車場 | あり(無料) |
公式HP・SNS | 建勲神社(天童市) 公式Instagram |
参拝ついでに!季節限定でつつじの花も楽しめます
建勲神社の境内であり、社務のお隣にある天童つつじ公園では、毎年5月中旬頃に約1万本のつつじが咲き誇ります。
この時期には「つつじの里まつり」も開催され、つつじのライトアップもあるそうです。
建勲神社を訪れるなら、ぜひこの時期を狙って、つつじの花を楽しみながら歩くのがおすすめですよ。
また、参拝後は車で数分の「天童温泉」で日帰り入浴を楽しんだり、「将棋の駒のまち」として知られる天童市街を散策するのもおすすめです。
読者からのコメントをご紹介
記事公開後、Xでこんなコメントをいただきました!
「建勲神社からほど近い三宝寺では信長の肖像画を見学できるほか、
天童市立旧東村山郡役所資料館では天童織田藩の歴史も学べますよ」
コメントでこんな情報をいただけて感謝です!
建勲神社と合わせて三宝寺や資料館も訪れると、信長ゆかりの歴史をさらに楽しめそうですね!
まとめ
天童市の舞鶴山にある「建勲神社」は、織田藩最後の功績を讃えて、その始祖である織田信長を祀った神社です。
のぼり旗のバタバタとした音しか聞こえないとても静かな境内で、ひっそりと戦国時代に思いを馳せるのも素敵だと思います。
そして、御朱印をお願いすると、信長の大好きだった「コンペイトウ」もいただけます!
歴史好きや織田信長ファンはもちろんですが、歴女や女子旅で神社めぐりを楽しむ方にとっても、天童市の建勲神社は穴場の参拝スポット参拝スポットです。
何より、織田信長ゆかりの神社をここ山形で参拝できるのは貴重な体験。
ぜひお近くへお越しの際は足を運んでみてください。